実在する?「性格ブス」恐るべし

差出人:○○千尋さん
日付:2012年2月16日 12:57
件名:一番大切なことは、研究ではなく、思いだと感じます。


映画と漫画史研究家の本間正幸公認【弥生美術館で植木金矢展】さん


そうですか〜
わたしもいろんな情報を耳にしますが、さっき書いたものは○○さんや○○さんが実際にインタビューで言っていたことですよ。


雑誌記事だけでなく、本人同士でも相手との関係を保つためにいろいろと本音をいえないこともあるでしょう。
あくまで私は研究をしたいのでなく漫画家さんがどんな思いでこれらを描いたのか、作品に込めた意図により興味があります。


漫画にはそういう連載時の背景のことよりも、幼少期の家族関係などのほうが色濃くその人の味として浮き彫りにされるので、規制とかそういうものを乗り越えて、ああ、この人が自分の考えで自分の経験や想像で一生懸命に作った、思いのこめられたものなんだな・・・ってその部分を忘れない、というかそういう活字や年号には載ってない内面の部分やその人の描きたかった、伝えたいこと・・・つまり心や思いを読み寄ろうとすること、純粋に漫画を読んで自分がどう感じたか・・・そういうことを忘れないで読むことが私なりの少女漫画へのありようです。


直接縁があるからと言って、自分の知ってることが正しいんだと(無自覚だとしても)押しつけるのは、正直知り合いなんだぞと年甲斐もなく自慢している幼い子供のように感じられます。
わたしは自分と違う考えの人に対して無理に考えを変えろと強制もしたくないし否定もされたくないので、このあたりでこの話はおわりにしましょう。
さようなら。


以上のメッセージが、アメーバの私のブログへ突然メッセージとして送られて来ました。

一見すると、正当な主張をしているように見えるこのメッセージの中に隠れている、かつての昭和時代の悪しき「漫画オタク」を代表するかのごとき「性格ブス」の悪意の塊を感じとってしまいました。
昭和の時代に何故マンガやアニメオタクが忌み嫌われ続けたのかを踏まえて、このBLオタクである腐女子の中に平成の今も根深く息づく「性格ブス」や人間の悪意についてと、丁度良い機会なので、私のブログに対する考え方や昭和の少年少女漫画やアニメ、特撮、映画や音楽に対する価値観の一部を解説、説明させていただきたいと思います。


先ずはBL好き腐女子さんへのメッセージになります。(笑)


一、いろんな情報を耳にされ、実際にインタビューで言っていたこと(?)とのことですが、貴女がどこで何を聞き、誰に何を教わってきたのか、残念ながら私には、あなたの文面からでは一切判りませんが、私は、漫画家さん本人やスタッフ、編集者や親族からの直接の証言しか信用出来ません。

二、私は、読者それぞれの作品への思いは尊重しますが、私には貴女の作品に対する思いにはまるで興味がありません。

三、漫画史研究と評論との最大の違い、それは、その作品が発表された時代背景など、当時どのような状況下で影響を受け創作され、その後、どのような作品に影響を与えていったのか実証的に解明することであり、評論家やオタクの作品への思い込みなど、どうでも良いことなのです。

四、ブログとは、本来その人の日常生活を記録する日記や備忘録などを公開するもので、友人、知人などと何時何処で何があったか、何を思い何をしていたかを書いているものと2009年3月から今日まで変わらず考えていましたが、私の考えは間違っているのでしょうか?
年賀状や話題になっている作品についてのエピソードなども、皆さんブログやホームページなどで公開していますよね!(笑)
因みに、昨年の伊達直人タイガーマスク現象については、ラジオ番組から生放送への出演依頼がきて、10分間【タイガーマスク】の漫画とアニメの違いについて私がコメントさせていただきましたし、他にも各種テレビ番組への制作協力や、インターネットの番組などへの出演状況も、アメブロのプロフィール欄にて紹介してありますし、関連書籍の一覧を記事にしたことがあります。
私は、漫画に関して貴女のようにただの漫画オタクとしての気軽な立場ではなく、ブログ以外での発言には全て、通常その道のプロとして活動しているので、ギャラが発生します。(笑)
友人や知人などとの通常の日常生活の記録を写真を交えて普通に書いているだけで、年甲斐もなく自慢している幼い子供って?(笑)
私には、貴女の方が年甲斐もなく妬んでいる幼稚園児か小学生のようにしか感じることが出来ませんでした。

五、私のブログへは、貴女からペタをされましたね!(笑)
ここ数年、私は、著名人のブログ以外に、よっぽどのことがない限り自分からペタをつけたり、コメントをすることはほとんどありません。
全て内容を確認してからなうのフォローをしたりペタ返しをして、再度ペタをいただいた時、明るく楽しいブログだったら読者登録、更に交流が深まったらアメンバー申請をさせていただいてます。
貴女のプロフィール欄には、ペタをしたのは、コメントが欲しいからと書かれています。
グルッポも、いきなりアメンバー申請OKに入っている様子。
平成生まれの貴女の世代には珍しく、私の世代に向けて発表された少女漫画の名作群について、貴女がブログ記事にしていたので、私と親交のある作家さん達のことなので、私の知っているあくまで基本的な事実、「少女漫画の作品には、発表誌など、各社それぞれのカラーや自主規制、そして日本の漫画作品には、担当編集者の影響があり、実際に私が漫画家さんと編集者さん直接本人達と一緒に会った時にその場で聞いたエピソード」
について一言述べただけなのですが・・・。
私は、貴女に漫画史研究をすすめるどころか、貴女の思いや意見を否定したり、無理に考えを変えろと強制したりした憶えはまるでありません。
貴女は、これまで通り貴女の考えでブログを更新して下さい。
けれども、今後貴女だけは、私のブログへのコメントやペタなど、一切の接触をとろうとすることを私の方から拒否させていただきますので、くれぐれもよろしくお願い致しますね!(笑)
さようなら。
(^o^)/~~


2012年2月22日(水)

映画と漫画史研究家


本間正幸


続いて、漫画史研究家としての私の漫画に対する考え方や価値観、ブログに対する思いを簡単に述べて行きたいと思います。


サザエさん】の長谷川町子さん共々、日本の女性漫画家の草分ともいえるさる高名な女性の漫画家の先生を偲ぶ会が、2009年3月に開催されることになり、光栄にも発起人の一人として私、本間正幸も名前を連ねることになります。
2000年頃より、少女漫画家の先生方の間で、少年漫画のように少女漫画も、手塚治虫先生や藤子不二雄A先生の【まんが道】のように、漫画家本人の口から正しい少女漫画の歴史を実証的に記録すべきだという気運がおこり、少女漫画家や担当編集者、美術館の学芸員そして研究者は身元が確かで信頼のおける人物数人のみが集められ、数回にわたる「少女漫画を語る会」が極秘に開催されました。
私は、光栄にもこの会に参加することが許された数人の研究者の一人になるのです。
このことがきっかけとなり、私は少女漫画家の先生方とも面識が出来、その後2001年7月に発売した【少年画報大全】には、前述の高名な先生のインタビューを収録。
同時に開催された美術館での企画展にもさる高名な先生の作品リストなど、データ作成協力をさせていただくことになるのです。
【少年画報大全】は、戦後の少年雑誌の歴史だけでなく、少年漫画とその作品のテレビドラマ化やアニメ化、映画化に到る迄の資料やデータを実証的に検証、充実させることが出来たため、それまでの評論家の手に因る思い込み中心の思い出語りの著書とは一線を画するものとなり、新たな時代の到来を告げる漫画史研究の第一級資料として、朝日新聞毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞など多数のメディアに取り上げられました。
これら一連の実績により、当時平均年齢60歳となるマンガ家協会へ、最年少の漫画史研究家として入会が認められることになります。
その後は、永らく絶版の浮き目にあっていた少年少女漫画の名作群の復刻に協力すると、オンデマンドによる復刊も含め、出版界において俄かに復刊ブームが起こり始めることになるのです。

元々私は、少年時代から、漫画評論ではなく日本の漫画の歴史に興味を持っており、同時代に発表された作品だけでなく、自分が生まれる前の時代からの作品を楽しむために収集、保存を始めました。
収集した蔵書を元に、1997年9月池袋で始めた漫画喫茶は、平成のマンガ喫茶ブームの火付け役のひとつとなり、営業していた僅か二年間の間に新聞、雑誌、テレビなど各種マスコミに四十数回も取り上げられることになります。
1999年9月に閉店後は、活動拠点を横浜に移し、昭和の少年少女漫画を中心にしたアニメや特撮、映画などとの関わり合いを総合的に研究する日本初の漫画総合研究所となるメトロポリス漫画総合研究所として活動を始めることになるのです。
当時のテレビ東京の人気番組、「TVチャンピオン」『少年マンガ王選手権』には、第四回に出場。
第五回、第六回には、制作ブレーンとして企画段階から協力することになり、資料協力、問題作成など致しました。
昭和の少年少女漫画の企画展など美術館、博物館の各種展示のための協力や、データ作成、商業出版への資料協力、編集協力などにより、漫画家の先生方との交流、親交は日々深まることになります。
各種展示会の案内やイベントの招待状がいただけるなど、漫画家の先生とファンとの関係から発展し、年賀状のやりとりなどプライベートでも親交が深まりつつあります。
2009年3月にブログを始めたのも、関係者やスタッフなど私より年配の方が多いためか、ネット上あまり正しい情報発信がされることがなかった昭和時代の少年少女漫画についての実証的な情報発信、イベントや美術館での企画展情報などを紹介することが主な目的でありました。
一部プライベート過ぎる内容については、関係者本人から直接削除依頼が二回ほど来たこともありますので、直ぐに削除させていただきました。

最後に、かつて私が成蹊大学文学部学会編となる

【明治・大正・昭和の大衆文化】(2008年3月・彩流社)の中に発表した論文


少年漫画の誕生とその変貌についての一考察「〜街頭紙芝居の『墓場奇太郎』はなぜ『ゲゲゲの鬼太郎』へと変貌を遂げたのか〜」


の序文の一部を紹介してこの記事を締め括りましょう。


前略

(「少年の理想主義について」『思想の科学』一九五九年三月号より)

日本の児童文学史は、佐藤忠男氏により指摘された通り、『少年倶楽部』(大日本雄弁会講談社)などに発表された少年小説群を大衆的・通俗的児童文学としてその存在を無視し、『赤い鳥』(赤い鳥社)などに発表されたものは芸術的児童文学として高い評価を与え続けてきた経歴がある。
まして少年漫画などは、戦後悪書追放運動の標的とされ、梵書騒ぎが起こったくらいで、近年まで学識者から客観的な視点でその歴史が顧みられることは少なかった。
ところが近年、日本のアニメーションや漫画に対する海外からの高い評価や経済効果に後押しされる形となり、状況は一変する。
二○○○年に教育白書はアニメーションや漫画を芸術分野に位置づけた。
俄かに大学でも研究対象とされ、二○○一年七月には日本マンガ学会が設立される。
そして二○○五年三月には東京の荻窪に、日本初の本格的な研究施設として杉並アニメーションミュージアムが設立される。

(中略)

有名大学卒を誇る近年の若手漫画史研究者達の間では、「実証的でない」「いい加減な」研究成果を孫引きし、繰り返し行っている悪しき慣例がいまだ横行している。
そのような悪しき慣例は、いまここで正していかなければ、(中略)

日本の漫画史研究は、いまだ黎明期の段階である。
正しい知識の蓄積がなければ、いかなる有名大学や施設の名においても漫画史研究の分野においてだけは、何ら効力を発揮することはない。

後略