【ハウルの動く城】と【泣き虫プロデューサーの遺言状】と映画【評決】

l漫画史研究家であえる私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

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漫画史研究家 本間正幸


私が2001年夏に監修した【少年画報大全】(少年画報社)の発売から今年で13年目の正月を迎えます。

「漫画バカ一代」誓った少年の日から、35年以上の歳月が経過し、昨晩は映画【ハウルの動く城】を観ておりましたが、今日は大好きなスタジオジブリ宮崎駿監督と、私の誕生日になります。

漫画史研究家としての私を取り巻く面倒な問題は、昨晩の深夜観た映画【評決】のように昨年年末迄にことごとく神の裁きが下され壊滅していきました。
巨大な影響力を持った偽善者の不正を告発したことから始まった業界内での四面楚歌にもめげず、正義と真実を貫き通した臥薪嘗胆の日々は終わりを告げ、今年は温故知新の志で不遇時代の私を変わらず支援し続けてくれたアニメーション業界、映画業界、特撮業界など様々な人達の無償の愛、その遺志にも報いられるよう粉骨砕身精一杯努力して頑張って生きたいと考えています。
さて、大晦日紅白歌合戦美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を、正月は元旦から四日間連続で【おしん】の総集編をみておりました。
私の父の故郷である山形県庄内地方が舞台となるおしんの少女時代をみると、横浜鶴見の街で不良少年時代を過してしまったため、何一つ親孝行を出来なかった私が、父の病を機に改心した時代と放送時期がダブっているためでしょうか、どうしてだろう、おしんの環境や境遇に感情移入してしまい泣けてきました。
庄内地方屈指の地主の一族の家、鶴岡にある本間家の八男兄弟の末っ子として生まれてきた私の父は、10歳の時に父を亡くし、マッカーサーによる戦後の農地改革のモデルケースとして所有していた莫大な農地の殆どを失ってしまいます。
10代で志願し戦地に赴いた一番大好きだった兄はシベリアに抑留され亡くなり、南洋の戦地から無事復員してきた年の離れた長兄が、私の父の父親代わりとなるのです。
明治維新の時に庄内藩のサムライから地主となり、今度は日本の敗戦のために大地主から普通の農家に変わる訳ですが、父と兄を失っただけでなく、かつての名門だった家の名誉と財産まで殆ど奪われてしまった父の少年時代の苦労は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。
父は、一年近く病院に長期入院し、私が17歳の春に胃癌のため47歳で亡くなってしまっているので、その頃の話はあまり聞けませんでした・・・。
42歳の時、寡婦となってしまった母の両親、私の母方の祖父母は数年前に亡くなっておりましたが、幸い横浜市の小学校の調理員として、地方公務員として働いていた母には定職と安定した収入があり、父が新築したばかりの家のローンや借金などは、その殆んどを貸してくれていた父の実家の伯父の好意により、全て帳消しにされていたため、父が元気だった頃と何一つ変わることなく暮らしていくことが出来たのです。
母に負担をかけまいと、奨学金をもらい、旅行会社の添乗員として働きながら明治学院大学の夜間で学んでいた私のことを、父の実家の伯父や伯母は、よほど不憫にでも思ったのか、

「学費のことや、生活費のことなど、お前は何も心配することはないし、必要な金ならいくらでも送ってやるからお前もみんなと一緒に昼間の学校へ通えばいい。
今までもらっていた奨学金も全て俺がはらってやるから、お前は返さなくてもいいぞ。」

と、山形からの長距離電話で延々と説得されたのですが、私は、伯父にまで迷惑をかけてはならないと思い、折角の申し出を断ったのです。
伯父が弟である私の父や、甥っ子である私や私の家族に対していつもかけてくれている愛情は、まさに無償の愛だといえるのではないでしょうか。
今年93歳となる伯父は、私が漫画史の研究者として一族の名に恥じない立派な研究者になれる日が来ることを日々願い、とても楽しみにしてくれています。
今年は、伯父を喜ばすような良い仕事が出来たと報告出来るような年にしていきたいですね。
私の心の師匠と自分勝手に公言している東映の平山亨プロデューサーは、昨年講談社から発売された著書のあとがきに座右の銘

「あきらめない」

ことだと言っています。
少年の日に、ひとり「漫画バカ一代」漫画史の研究者への道を誓った私は、巷に溢れるマンガ評論家たちのリーダーを目指すのではなく、漫画を中心としたアニメや映画、音楽の総合的な漫画史研究者、新しい時代の漫画史研究家のパイオニアとして、我が道を突き進んで行きたいと考えています。